仙台高等裁判所秋田支部 昭和24年(を)51号 判決 1949年11月07日
主文
原判決を破棄する。
本件を酒田簡易裁判所に差戻す。
理由
原審各公判調書殊に第一回公判調書(記録一九丁裏)及び第六回公判調書(記録一九三丁裏)の各記載によれば、原裁判所は昭和二十四年四月二十五日の第一回公判において弁護人の請求により証人藤田淸一の尋問をする旨決定を言渡し、その後所論のように審理を重ね同年六月十六日の最終公判において弁護を終結し、その弁論終結までに右採用決定の証人藤田淸一の尋問をなさず、且つ、その取消決定をもなさずして同日判決を宣告したことを認めることができるので、原審には、訴訟手続に法令の違反があること明瞭であるしかもその違反が判決に影響を及ぼすこと明かな場合であると認められるので、論旨は理由があつて原判決は破棄を免れない。
弁護人の控訴趣意
第一点
一、原審は本件の第一回公判を昭和二十四年四月二十五日被告人山崎淸一事丁仁升の窃盜等事件を併合事件として開いた。其の際被告人両名の弁護人山本光郞から本件被告金の爲め朴仲遠を、被告人両名の爲藤田淸一を、被告人両名の爲田中寅夫の証人尋問を請求した処原審は朴仲遠、藤田淸一の両名は尋問する。田中寅夫の採否は留保する旨決定した。同年五月九日第二回公判で裁判官は被告人金の公判期日を変更し追て指定する旨宣言した。而して丁仁升の事件のみを審理する旨決定し同被告人の爲め証人藤田淸一を訊問した。其後丁仁升の爲め同月十六日第三回、同月二十七日第四回公判を開廷し四回公判では被告人金朴の弁論を丁の事件と分離する旨宣言して丁の審理を終結し同年五月二十八日第五回公判を開廷して丁に有罪の判決をした。
其後同年六月八日改めて被告人金の爲め公判期日を同月拾六日と指定し、同月拾六日第六回公判として本件被告人の公判を開廷し先にした証人朴仲遠の尋問決定を取消し同人及留保中の証人田中寅夫の尋問請求を却下する旨決定し因て以て審理を終結し即日被告人金を懲役一年、罰金千円に処する旨の有罪判決をした。
三、然し第一回公判始末書に明記の通り証人藤田淸一は原審弁護人が当時の共同被告人丁仁升と本件被告人との両名の証拠として尋問を請求されたものであつて原審も之を容れ両名の爲め尋問を決定したのである。処が第二回公判で冐頭裁判所は被告人金の公判期日を変更し丁仁升の公判を開き同人の爲藤田淸一を訊問した。其後第三、四、五と丁の公判を開いたが第五回の公判で証人朴仲遠の尋問決定を取消し朴と田中寅夫両名の尋問請求を却下し審理を終結判決したから結局第一回公判で被告人金の爲め採用して尋問を決定した証人藤田淸一に付ては被告人の爲め証拠調を施行せずに了つたのである。元より同人の尋問を改めて取消し之を却下する旨の決定もしなかつたことは一件記録に明白である。然らば原審は自ら尋問する旨を決定した証人を取消変更等何等処置することなく尋問を遺脱した儘審理判決した違法がある。
而して右証拠調は被告人金として許された唯一の証拠方法でもあつたから判決に影響を及ぼすことは云ふ迄もなく原審判決は破棄せらるべきものである。
第二点
一、当被告人は自らの意思で日本に來たものでなく昭和十七年徴用により内地に送られた事情、昭和二十二年勅令第二百七條違背は終戰の混雜により登録の機会を逸し其儘今日に及んだ事情、竊盜の賍品は全部被害者に仮還付されて実害の消滅した事情を考慮すれば原審の科刑は重きに失すると思料する
右の理由だから原判決の破棄を求める。
檢察官竹島四郞の答弁
第一、弁護人控訴趣意第一点は、原審は第一回公判に於て弁護人の申請により被告人のため証人として藤田淸一を喚問することを決定しながら、其の証人尋問を遺脱した儘結審判決をしたのは訴訟手続に法令の違反があつて、その違反が判決に影響を及ぼすこと明らかである場合に外ならぬ。と謂うのであつて
被告人のため右藤田淸一の証人尋問をなすことを遺脱したことは認むるに足るが、右結審に際し弁護人より「他に立証はありません」と陳述し、被告人側より右遺脱に対して何等異議の申立をしなかつた許りでなく、元來前記証人を喚問する筈であつた原審第二回公判に被告人が出頭を怠つた爲裁判所はやむなく「同被告人に対する被告事件の公判期日を変更して次回期日を追て指定する」旨の決定を宣告して相被告人丁仁升のみの爲に同証人の尋問をした後裁判官問「尚三浦正一こと金朴洙を知らないか」答「其の人は顏も見た事がありません」なる問答のあつたことが記録上明らかで(第百六十四丁裏)然かも第六回公判に於て被告人出頭の上「裁判官より檢察官及び主任弁護人に対し職権を以て第二回公判調書の証拠調をすることについて意見を求めたところ檢察官及び主任弁護人は順次にいづれも意見がないと述べた。裁判官は前記第二回公判調書の証拠調をする旨の決定を宣告し、次いで前記第二回公判調書を展示朗読した」ことを記録(第百八十七丁裏、第百八十八丁)上認むるに足り、結局実質上被告人にとつて同証人の証言は無意味であつた次第である。從つて、右訴訟手続の違法は判決に影響を及ぼさぬものであることを認めるに足る。
第二、弁護人控訴趣意第二点は、被告人は昭和十七年徴用により内地に送られたもので終戰の混雜により外國人登録の機会を失したのであり、又竊盜に付ても賍品の全部が被害者に仮還付され実害ない等の事情を考慮すれば原審量刑は過重である。と謂うのであるが、
本件外國人登録令違反は昭和二十二年五月頃のことであるから既に終戰後相当の日数を経て居り「被告人も登録しなければならないことを知つて居たが、あちこち闇商を行つて居る中忘れて仕舞ひ、其の後四、五月経てから友達より登録したかと聞かれ、届けないでしまつた事に氣付いたのですが、遂そのまゝにして現在も届けて居ない」旨の供述記載(記録第一一九丁)を認むるに足るので、結局「終戰の混雜により登録の機会を失した」と謂ふよりも寧ろ法精神の欠如から登録を怠つたと認むべきで之に対し罰金千円を選択量刑したことは決して過重ではない。
又本件竊盜も深夜三名共謀による破藏犯で盜取した物品も千点余、時價六十二万円余と謂うのであるから、偶々犯行後間もなく逮捕され本件賍品が返還されたからとて実害なきに帰した点のみを重視すべきでなく、その犯情よりして相当重い刑責を負ふは当然で、原審量刑は決して過重ではない。まして被告人は本件につき勾留執行停止により出所中、更に竊盜を犯して居るのであつて改悛の情を認められない次第である。
結局右論旨は理由がないものと思料する。